AIが教えてくれる、見えない感染リスクの正体
病院に入院したら、安心して治療に専念できる—。
そう信じたいのは、誰もが同じです。
けれど、実は病院内で新たに感染してしまう「病院発症菌血症(HOB)」という問題が、医療現場で深刻な課題となっています。
あなたやあなたの家族が、たまたま前の患者さんが使っていた病室に入ったとしたら?
あるいは、1日に何人もの医療スタッフが入れ替わり立ち替わり診てくれるとしたら?
—それが「見えない感染リスク」だとしたら、どう感じますか?
今回は、アメリカ・セントルイスのバーンズ・ジュイッシュ病院で実施された最新の研究をもとに、AIが明らかにした”予防のカギ”をご紹介します。
見えないリスクに光を当てる——病院内は”人のネットワーク”だった
この研究が注目したのは「患者本人の情報」だけではありません。
従来、感染リスクを予測する際には、年齢や持病、入院中の処置など、患者ごとの特徴が主に使われてきました。
しかし、それだけでは見えてこないことがある。
なぜなら病院は、個人が孤立して存在する場所ではないからです。
病室、廊下、ナースステーション—すべてがつながり合い、そこで働く医師や看護師、他の患者たちも含めて、ひとつの「動的なネットワーク」が構成されているのです。
この研究では、機械学習(AI)を使って「患者本人に関係のない要素(nonindividual patient features)」も分析に加えました。
具体的には、前に同じ病室に入っていた人が使っていた抗菌薬、過去7日間に関わった医療スタッフの人数、同じ部屋で過ごした他の患者の有無といった要素です。
このような”周囲とのつながり”が、実は感染リスクに深く関わっているという事実が、明らかになったのです。
「前の入院者が使っていた薬」が感染リスクを上げる?
調査対象は、2021 年に入院した 52,442 人の患者。
そのうち3日以上入院していた 34,855 人が解析対象となりました。
その中で、556 人(1.6%)が新たに病院で菌血症を発症。
機械学習モデルによる予測では、患者情報だけのモデルに比べ”周囲の要素”も含めたモデルの方が予測精度が大幅に向上したのです。
特に重要だったのは、前の患者が強い抗菌薬(抗緑膿菌βラクタム)を使っていたかどうかと、直前1週間で何人の医療従事者が関与したかという2つの要素でした。
これらは、どちらも個人ではコントロールできない要素です。
それでも、感染リスクに強く影響している。
まるで「病室に残された抗菌薬の足跡」や「看護の交差点」が、次の感染者を選んでしまうようにも感じられます。
AIが示す新しい予防戦略:守るべきは”誰か”だけではなく”どこ”と”どう接するか”
この研究が教えてくれるのは、感染症対策を”患者個人の問題”に限定していては不十分だということです。
たとえば「医療スタッフの数が多ければ手厚くて安心」と思われがちですが、実際には関わる人数が増えるほど交差感染のリスクも高まることが分かっています。
つまり「誰がケアするか」ではなく「何人が関与するか」も大事な観点なのです。
また、前の患者が抗菌薬を使っていた部屋に入るだけで、次の入院者のリスクが高まる。
これはまさに「見えない残り香」が新たな感染を引き寄せるようなものです。
AIはこのような微細なパターンを見抜き、予測の精度を上げるだけでなく「どこを改善すれば感染を防げるか」という行動のヒントを与えてくれるのです。
感染予防の未来へ:病院が”ひとつの生き物”として動き出す
この研究は、病院という場所を「ただの建物」ではなく「複雑に動き続ける生命体」として捉えたことに大きな意義があります。
たとえば、医療スタッフの交代を減らすことで感染のリスクを下げられるかもしれません。
同じ病室を再利用する前に、前の患者の抗菌薬使用歴を踏まえた対応ができる可能性もあります。
さらに、ICU や病棟ごとの”感染の波”を予測し、配置や清掃を最適化することも考えられるでしょう。
それらを可能にするのが、AIとビッグデータの力です。
おわりに:感染症対策の新時代は”人と場所の記憶”から
「病気になったのは、たまたま運が悪かっただけじゃないかもしれない」—そんな風に思わせる今回の研究。
それは決して恐怖を煽る話ではありません。
むしろ、見えなかったリスクに光を当てることで、私たちがもっと安心して病院に行ける未来を描けるという希望の話なのです。
感染予防は、もはや「点」ではなく「面」で捉える時代。
そして、その面には「人」と「場所」と「記憶」が織り込まれています。
あなたの入る病室に、次の感染の芽を残さないために。
私たちは、AIとともに新たな一歩を踏み出し始めています。
参考:Integrating Nonindividual Patient Features in Machine Learning Models of Hospital-Onset Bacteremia
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