プロンプトを書く、それって技術? それとも…?
あのとき、少しだけ「自分が賢くなった気がした」
ある夜、仕事のメールをうまく書けなくて悩んでいた私は、何気なく ChatGPT に「この文をもっと丁寧にして」と頼んでみました。
すると、1秒もたたないうちに完璧なビジネスメールが返ってきたのです。
そのときの気分は、まるで「呪文を唱えたら魔法が発動した」ようでした。
「もしかして私、AIをうまく使いこなしてる?」
「これが、噂のプロンプト力ってやつか…?」
でも、次の日—。
同じようにAIに頼んでも、なぜかイマイチな返事しか返ってきません。
どうして? 何が違ったの?
「プロンプトエンジニアリング」という新しい幻想
いま、「プロンプトエンジニアリング」がまるで新しい技術のようにもてはやされています。
実際、プロンプトエンジニアという肩書きも見かけるようになりました。
2025 年7月現在では「コンテキストエンジニアリング」「コンテキストプロンプティング」「コンテキスト操作」などと呼ばれるようになっています。
でも、ブログ『Prompting LLMs is not Engineering』では、この流れに厳しい批判が投げかけられています。
その主張は明確です:
プロンプトエンジニアリングは「偽薬的な治療法」に過ぎない。
なぜ「エンジニアリング」ではないのか?
プロンプトエンジニアリングは、非決定論的なブラックボックスをリバースエンジニアリングしようとする試みに過ぎません。
なぜなら、以下のパラメータがすべて不明だからです:
- 訓練データセット
- モデルの重み
- モデルにかけられた制約
- 入力と出力を変換する中間層(いつでも変更される可能性がある)
- 特定のクエリに対する計算リソースの利用可能性
- その他、考えつかない詳細事項
「プロンプトエンジニア」たちは、特定の方法で特定のモデルにプロンプトを書けば「より良い結果」が得られると主張します—しかし「より良い結果」が何を意味するのかの明確な基準は示されていません。
実際には、アメリカのユーザーが目覚めただけで無料の計算リソースが減少し、どんなプロンプトの技巧を使っても、すべてのモデルが1時間前より大幅に愚かになってしまうのが現実です。
証拠のない主張たち
プロンプトに関する主張の大部分は、ホメオパシー程度の証拠しかありません。
人々が少しでも厳密な検証を行うと、プロンプト「エンジニア」たちの主張は朝露のように消えてしまいます。
たとえば、新しい「思考」モデルが登場する前は、チェーン・オブ・ソート(思考の連鎖)クエリが素晴らしく、驚くべきものだと宣伝されていました。
しかし現実では、これらは非常に狭く超特定的なクエリでのみ改善があり、同じ技術が適用できる幅広いクエリには何の効果もありませんでした:
「非常に特定的なプロンプトは機能する可能性が高いが、作成にはかなり多くの人的労力を要する可能性がある。我々の結果は、思考の連鎖プロンプトが問題クラス内で一貫して機能するのは、問題クラスが十分に狭く、与えられた例がそのクラスに特化している場合のみであることを示している」
現在も続く偽薬療法
OpenAI o3 や Google Gemini 2 Pro などのモデルが進歩した現在でも、プロンプト「エンジニアリング」は「AIのためのルール」や「大規模コンテキストウィンドウ」など、以前と同様に効果的で決定論的でない偽薬的治療法へと進歩しただけです。
真実:それは魔術的儀式
現実として、これらは信仰、恐怖、興奮に基づく結果を持つシャーマニックな儀式に過ぎません。
エンジニアリングではありません。
最後に伝えたいこと
私たちは「プロンプトエンジニアリング」という幻想から目を覚まし、AIという不確実なツールとの現実的な付き合い方を学ぶべき時代に入ったのかもしれません。
完璧なプロンプトを求めるのではなく、AIの限界と不確実性を理解し、それでも価値を見出せる使い方を模索すること。
それが、真の意味でAIと共存する道なのです。
今日のひとこと:
🧭「プロンプトは魔法の呪文ではない。不確実な道具への現実的なアプローチである」
幻想ではなく、現実と向き合うことから始めよう。
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